額に掲げられた金色に輝く社紋「晴明桔梗」が特徴的です。鳥居の額には、通常、神社名やお祀りしている神様の名前を掲げることが多いのですが、この鳥居には社紋が掲げられており、全国的にも珍しいものといわれます。「晴明桔梗」は、「五芒星」とも呼ばれ、晴明公が創られた陰陽道に用いられる祈祷呪符のひとつです。
安倍晴明公とも縁深い一条戻橋は、平成7年に架け替えられ、現在も晴明神社から南へ100メートルのところにある堀川に架かっています。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名です。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしです。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現しています。
旧・一條戻橋の傍らには、式神の石像が置かれています。式神とは、陰陽師が使う精霊で、人の目には見えません。晴明公が、この地にお住まいになっていたころには、奥さまが怖がっておられましたので、式神は橋の下に封じ込められていました。その折には、式神がこの橋を渡る人の占い、つまり、橋占(はしうら)をしていたと伝えられています。
二の鳥居をくぐると手水舎があります。古来、水は「罪(つみ)」や「穢(けが)れ」を洗い流すものと考えられており、神域に入る者が、身を清めるための場所です。こちらで、手と口を清めてからお参りください。
晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲んでいただけます。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。
境内のもっとも奥に、晴明公をお祀りする本殿があります。晴明桔梗が随所にあしらわれ、おごそかな雰囲気に包まれています。現在の本殿は、明治38年に建てられたものです。
本殿北側には、お稲荷さま他2柱の神様が祀られるお社、齋稲荷社があります。齋(いつき)という言葉は、このお稲荷さまが、齋院(さいいん/鴨神社に仕える齋王がおこもりする場所)にあったことに由来します。晴明公は、お稲荷さまの生まれ変わりとする説があり、各地で稲荷信仰と習合されます。
この像は、当神社が所蔵する安倍晴明公の肖像画を元に作成されました。晴明公が、衣の下で印を結び、夜空の星を見て遠く天体を観測しておられる様子をあらわしています。
古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物といわれます。『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれています。昔話、「桃太郎」もこれに由来するものだと思われます。誰にでも、自身の厄や、まがまがしいものがあります。それをこの桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになることができます。
当神社の御神木は、樹齢推定300年の楠です。楠は、かつて虫除けなどに使われる樟脳の原料でした。樹皮に触れると独特の感覚があります。両手をあてて大樹の力を感じとってください。
数多くある晴明公の伝説の中から、代表的な10の逸話を紹介しています。ご存知のものもあるかもしれませんが、今一度読み返すと新しい発見があるかもしれません。
授与所は、お札やお守りをお分けするところです。また、ご朱印もこちらでお受けいただけます。
清浄華院(京都市上京区)所蔵『泣不動縁起絵巻』の中の、晴明公が登場する一場面を西陣織の技術で織り込んだ大きな絵馬です。邪鬼を祓う晴明公が、ダイナミックに描かれています。
俳優や作家、映画監督、漫画家など、著名な方々も多数お参りに来られ、絵馬も奉納されています。
お参りの記念に、と設置しました。特に、修学旅行生に人気です。
江戸時代の茶書によれば、当神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に、千利休の屋敷があったとされ、利休の遺徳をたたえ茶道・武者小路千家家元が石碑を奉納されました。正面には、千宗守家元筆の「千利休居士聚楽屋敷 趾」の文字が刻まれています。境内の「晴明井」の水は、利休が使ったといわれています。
桔梗庵では、参拝記念品やお土産を販売しています。すべて晴明神社公認のものですので、安心してお買い求めいただけます。
参道脇に凛と建つ「日月柱(にちげつちゅう)」。この柱上にある日月石像は、篤志家によるご奉納で、南に「日」、北に「月」を配し、まさに 陰陽を表しています。また石柱は、かつて四神門の門柱として使われていたもので、「明治37年9月晴明公九百年祭紀念」と刻まれています。
四神門(しじんもん)は、当神社の塀重門です。晴明公がお住まいだった当時、朝廷の使いなどが訪れると、この門がひとりでに開き、門から出るとまたひとりでに閉まったそうです。現在でも、それにちなみ、電動で開閉します。石柱の上には、四神(東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)が掲げられています。